Essay

My parents 親と自分





世の中には、不幸な親子がいます。



あんたを産んでやった」と恩を着せる母親




産んでくれとは頼んでない」と反論する娘。




悲しい会話ですが、


こんな親子の口論は少なくありません。





産んで育ててやった


自分への感謝敬意を求める母を





頼んでいないのに産んでおいて


身勝手だと感じる娘。





このふたりの親子は、


まったく同じ考えで繋がっています。




娘の存在を「私次第」と考える母に従って


自分の存在を「母次第」と認識した娘が




産んでくれとは頼んでいない


という返事をします。






自分を独立した尊い存在として


捉えられない子の言葉です。





また、自分の存在幸福感


特定の人物”により変動することは





その人への依存心を表します。





さらに無意識でそこには



強い恐怖憎しみが渦巻いています。









は産まれた瞬間から


完全な別人格の他者です。





ひとり静かに、自分が


を受けたことを喜ぶ心の持ち主が




次に、


自分を産んだ母にも感謝を示せるのです。





反対に、人生を憎めば


自分を産んだ母の選択も恨みます。






子供は親を選べないから


気の毒と考える人もいれば





子供は親を選んで


生まれるものと考える人もいます。






生まれるの世界を考えるのは


死後の世界を考えるのと同じ。





目に見えず、当人が意識もできない次元に


仮説をたてるのは、踏み込んだことで





絶対の正解は設けられません。





ただ間違いないのは、


母親に相応しくない未熟な女性に育てられた





この不運に関して


娘の責任はまったく無いと言えます。





その影響で、神経過敏になったり


劣等感を持って育ったことにも、




本人の責任は皆無と言えるのです。





但し、



傷ついた数々の体験や過去を引きずる



この先の人生の全部が、自己責任です。










自分のしみが、ダメな親


ダメな社会などのせいであるとき





被害者の立場からそれらをみ、


めることになります。





これは、自分の


精神的成長を放棄する姿勢です。





親への恐怖を克服し過去を切り捨て



新たな人生を切り開くことは





人生で最も過酷な選択に違いありません。



それだけ、精神的成長は苦行なのです。





しかし、その先の人生はまさに


天と地ほどいます。





私たちは常に今をに生きるために


成長をけたい欲求





反対に、努力してでも


人生を切り開きたい欲求も持っています。





幸福に生きるも不幸に生きるも



苦労が伴うならば、




いつだって


未来に生きる選択をしたいものですね。