Essay

LOVE. 愛する者と愛されたい者




愛。



明白な答えのないそれを、




私たちはあまりに


様々なものと勘違いしてしまいます。





好都合好意


いっしょくたに捉えがちなのと同様。





依存心と好意もまったくの別で、



憎く嫌いな相手から離れられず





精神的に依存する例は多々あります。





その依存心や執着心を「」と思い込んだ



恋愛も、また然り。





依存弱さから生まれ、



することは強さを要します。





依存は心の中の不足を、



は心の中の充実を表します。





のように交わることのない要素。





愛が静か安定したものなのに対して



勘違いの愛はしく不安定です。





不安定なふたりは、その人といると



互いの心の痛み麻痺することから





どっぷりと依存



二人の世界に閉じこもることも。





しかしこの時



見つめているのは互いに自分自身です。










依存心や独占欲、強い支配欲などが




自己犠牲的な姿勢



となって表れることもあります。




あなたのためなら何でも出来ます


と言って、言いなりになる。





相手が自分から


離れられないようにして支配する。





反対に、


依存心や独占欲、強い支配欲などが





乱暴


強迫的な態度になることもあります。





それは仮に、威張って従わせる男性と



自ら言いなりになる女性。




両者は同じ欲求を隠し持ちながら



真逆の態度を取ります。





そしてこの態度は


いつ逆転してもおかしくありません。





心の問題を、


恋人を通して片付けようとする人々は




皆、試行錯誤で


どうにかされようとしています。





しかし、不思議なようですが





する人は、



えられても満足しません。






されたい人を、し抜くことは



人間業ではないのです。







されたい者は、しく不安ですから




あらゆる不満を抱きもっとくの




完璧をキリなく求めます。





一方、 する者は



相手を満足させられない自分を悲しみ




一方通行を送るのです。





この場合、されたい者が、



愛する側に回らない限り




別れを告げることが最善の救済です。





自分のによって




精神的成長が唯一の救いである人の



成長めるほど皮肉なことはありません。






誰かにされたい


されたい、せにして欲しい。





そう思ううちは、


愛する者の域に達していないのです。






しかし唯一、


愛する者同士だけが成就させます。





人を支えるための体づくりと同じ。



精神的成長は、誰かをするづくりです。